2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震 台湾の義援金ありがとう 民主党政権の失政は忘れない 韓国の反日が多くの人に知られる出来事も起きる

2018年3月11日(日)で、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)から7年を迎えます。

地震が発生した2011年の3月11日(金曜日)14時46分、今でも覚えております。

地震の時、私は高校生でした。

茨城県も、全ての市町村で震度5弱震度6強を観測し、私の住んでいた市も震度5強を観測しました。

マグニチュード9.0、最大震度は宮城県栗原市震度7

震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。




民主党の失政も忘れられません。

当時の菅直人政権は、国民を救うために政府閣僚を指揮する必要があったが何もできず、震災の翌日にカメラマンを連れてヘリコプターで視察した事に衝撃を受けました。

菅直人福島第一原発強行視察により、原発の初動対応が遅れてしまい、処理が難しくなっり、結果的に排気(ベント)は遅れて、水素爆発が起きてしまい、福島県民は大きな被害を受けました。

菅直人は、インドネシアから毛布1万枚の支援を(品質が気に入らないという理由で)断りました。

被災した当時の東北は寒く、一枚でも多く貰ったほうが良かったはずなのに、なぜ菅直人がそのような行為をしたのか分かりません。

さらに、菅直人は、タイからの米1万トンと餅米5千トンの支援を断り、日本を支援しようとしたが断られた国は、どのような気持ちなのか。

菅直人政権は、世界各国から義援金が1000億円を超えても、被災者に1銭も渡しませんでした。

手宮城福島で被災された住民がかわいそうでした。

たくさんの支援をしていただいた世界各国に申し訳ない気持ちです。

(菅直人 衆議院 東京18区)

民主党のやる気の無い対応を見て、本当に危機的な状況がやってきたことを覚えています。

多くの人が「二度と民主党に政権を任せることはできない」と実感した事でしょう。


2009年夏の衆議院議員総選挙民主党が300以上の議席を獲得し、民主党が圧勝しました。

その時に、今は亡き父が『日本は大丈夫なのか、このままでは不安だ。このままでは日本が終わってしまう。』と悔しそうに言った事を覚えています。

当時の私は、まだ子供であり、今後どうなるか予想できなかったが、本当に危機的な状況がやってきて、民主党菅直人)政権はまともな対応ができなかった。

自民党の安倍総裁が政権を取り戻して良かったです。


もし、今も民主党政権が続いていたら、実に恐ろしい。




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昨年、岩手県陸前高田市に行ってきました。

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陸前高田市の七夕祭りに参加してきました。

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これは岩手県平泉町に行った時の写真です。

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岩手県宮城県福島県の被災地の復興を願います。






これが韓国の反日の実態が多くの人に知られるきっかけになったと思います。

このような行為をしてしまうのは、韓国の日常なのでしょう。

以前からインターネットを利用していた人は、韓国の反日を知っていた人もいます(そのような書き込みがありました。)。

私は小学校3年生(2002年)からインターネットを利用していました。

独学で勉強して知った人、両親や祖父母から聞かされていた人もいると思います。

私の両親は、中国と韓国に悪いイメージを持っていました。





東日本大震災の時、台湾から多くの義援金をいただきました。

台湾ありがとう。

もし、台湾で困っていることがある時に、日本が恩返しをしたいです。