チェスと日本の将棋  ~外国の戦争と日本の戦国時代~

○チェスと欧米

チェスは、相手から取った駒を捨てる。

チェスは、欧米の文化である。




チェス思想は、歴史にも現れている。



例をあげると、1330年代から始まるイギリスとフランスの100年戦争では、虐殺や略奪で農村は壊滅的になり、さらに疫病により、イギリスとフランスはお互いに国の人口の3分の1が亡くなっている。

ポルトガルとスペインは、15世紀後半から南米を植民地支配して、約2500万人の原住民を虐殺している。
現在の南米は、奴隷で連れて来られたアフリカ人、ポルトガル人スペイン人が無理矢理子供を産ませた子孫がほとんどであり、純粋な原住民の子孫は少ない。

イギリスは、1770年代にオーストラリアを植民地支配して、アボリジニを数百万人虐殺している。

19世紀の白人とインディアンの戦争(現在のアメリカ)では、6000万人のインディアンが虐殺されている。






他にも多くの歴史がある。
(チェスと関係ないが、音楽などは面白い歴史がある)




中国の三国志の頃は、人口が約5000万人から約800万人まで減少する。

かなりの減少である。

伝統的に中国は、戦で負けた場合は、その都市に暮らしている全員の命が危険である。


中国は王朝が変わるたびに虐殺が行われたり、行われなかったりしている。





○日本の将棋

日本の将棋と中国の将棋は違う。

中国の将棋は、取った駒を使う事ができないというチェスと共通している部分がある。





外国の戦争と日本の戦国時代は、大きく違う。


中国の歴史は虐殺が多い。


日本の戦国時代は、虐殺が無く、虐殺のエピソードは、GHQが思想や歴史を書き換えたり、外国の思想が混ざっていたり、テレビで(大河ドラマなどでNHKが自虐史観もしくは面白く)作られたりした話である。

NHKは某外国人社員もいる為、いろいろな思想がある。
時代劇は面白く作られている印象だ。




鎧に刀や槍を持って戦う為、1日に何時間も戦う事は少ない。

関ヶ原の戦いも15万人が戦ったが、テレビみたいに数万人が亡くなったわけではなく、亡くなったのは数千人である。

(現在の日本全国の年間自殺者数は約3万人である。)




戦では、相手の大将の首だけを取れば勝ちである。
将棋と同じだ。

将棋は、たくさんの駒を所持していても、最終的に王将を取られた時点で負けである。

一番重要な事は、将棋は敵から取った駒を味方として活用できるところだ。

これは、敵の国民でも虐殺しないで、味方として自分達と協力していく事に繋がる。

農民に関しては、米をたくさん作るため、もの凄く大切にされていた。



一方、欧米や中国は虐殺が多い。悲しい話だ。





基本的には、戦が始まる前に、大名が農家にお金を出している。

(関ヶ原の戦いで田畑が荒れた時は、家康が農民に賠償している。)

農民は、戦で亡くなった人を鎧を脱がせてから火葬したり、大切に埋葬したりしている。
鎧や槍などは、亡くなった人の家に届けていた。
これは外国と違うところだ。

テレビで放送される虐殺は嘘であり、自虐史観そのものだ。

死体をそのままにしていたら農業ができない。


時間が長時間経過した場合、遺体は腐乱してしまい、片付けにくくなる。

(規模の小さい戦は、数多くあった。外国なら大勢亡くなるが、日本は少数である。)






戦国時代は、優秀な大名が多い。

国力を増大させて、民衆を豊かにさせる為に、必死に頑張った。




織田信長は、世界でもトップクラスの強さである。


桶狭間の戦いにおいて、奇襲作戦で今川軍に勝利するところは見事だ。

強い方が勝つのではなく、勝った方が強いのである。


(実は、信長は心が大きい人間であり、NHKのドラマでは、かなり脚色している。信長は、アフリカ人の家臣も受け入れている。ホトトギスの話は後世に作られた物語である。)

日本の戦国大名は、武器が豊富であり、教養もあり、間違いなく外国より強い。



日本全国が強くなったおかげで、日本が守られたわけである。

当時は、世界各地を植民地支配していた、スペインやポルトガルが日本を侵略できなかった理由である。

朝鮮出兵では、東北の大名達も協力している。

日本軍は勝利しており、自主的に撤退している。

スペインがイギリスやオランダに押されて、弱体化したことが撤退した理由の1つである。


(東アジアは、明と日本以外はスペインとポルトガルであり、豊臣秀吉朝鮮出兵した理由として、スペインから日本とアジアを守ろうとした事が分かっている。戦前の欧米列強と似ている。)

この世は弱肉強食である。




戦国大名は、戦争をしたいから戦国大名になったわけではない。

相手を降伏させる事もある。

話し合いで解決する事もある。

外国と大きな違いだ。




室町幕府が国民をまとめられなくなり、戦国時代になり、豊臣政権が誕生して、1603年に徳川政権が誕生したという流れだ。


その徳川政権が誕生する3年前の1600年の関ヶ原の戦いは、豊臣家の家臣同士の争いという位置づけである。

小早川秀秋(当時19歳)の判断が大きな影響を及ぼした(徳川方として戦う約束をしていた)。




(応仁の乱は、京都で飢饉があり、幕府が対応出来ずに、8万2千人が亡くなった事も大きな一因である。)

戦国時代の下克上と呼ばれているものは、民衆の暮らしを考えない大名を辞めさせて、民衆を守る為のものである。

実は、下克上は中国の言葉である。




豊臣秀吉は、スペインやポルトガルが何をしていたのか知っている。

豊臣政権は、バテレン追放令を行っている。

豊臣秀吉は、人身売買をしていたポルトガル人を斬り、多くの日本人を守っている。

(キリシタンは約50万人の日本人を拉致・誘拐した後に、海外に売り飛ばしていて、秀吉は激怒した。明と李氏朝鮮も関わっており、利益になる為、止める事は無かった。)


徳川政権は、豊臣政権の禁教令を引き継いで、大阪冬の陣の前に、キリシタン禁令と宣教師を追放令を出している。

キリシタンが日本に来させない為に鎖国もしている。

豊臣秀吉徳川家康と優秀な方が全国統一した事により、日本は守られた。

豊臣政権と徳川政権は、日本を守る為に行われた、防衛的な政策が多い。





日本の戦国時代は、人口が約1.5倍に増えている。
約1000万人から約1500万人に増えている。

農業の技術が向上したり、商工業が発展した時代でもある。

外国の戦争は、虐殺や疫病などにより、人口が激減している。


江戸時代以降も人口が増加している。
江戸時代は、日本史上最も治安が良い時代である。
(2015年9月24日の江戸時代の日記では、治安の良さについて書いている。)



幕末の人口は、約3000万人である。

日本全体の人口は、減少している時代がほとんど無い為、平和である事が分かる。

さらに、人口は緩やかに増加していて、昭和20年の頃と大違いだ。

昔は現在と違い、子供を一人産む事が大変な時代である。





室町時代~江戸時代は、個人的に最も好きな時代だ。





大昔から外国と日本は大きく違う。

現在も、外国は治安の悪い国が多く、日本は治安が良い国である。


大昔から外国と比べると、日本はかなり平和である。




私のアメブロにも書いてある。

「チェスと日本の将棋  ~外国の戦争と日本の戦国時代の違い~」〈http://ameblo.jp/correct-history-of-japan/entry-12096792637.html〉2015年11月25日。